9月*日。
退職メールというものについて考える。
退職メール。
いままでにも何通か、もらったことある。
でも、それをもらった感想。
「もう辞めちゃったんだったら、返事書けないじゃん」。
退職メールとはたいていの場合、勤務最終日に各関係者にむけて一斉送信されるだろう。
だから、そのメールにどんないいことが書いてあっても、
そして、その人にどれだけお世話になっていて、退職が寝耳に水であっても、
伝えたい言葉があっても、返信したとてもうすでに本人の目には触れないのだ。
なんだよー、言いっぱなしでいなくなるのかよ。
というのが、正直な感想であった。
内容は、どれも覚えていない。
だいたいが、
「辞めます」
「いままでお世話になりました」
「いろいろ迷惑かけてごめんね」
「これからもがんばってください」
を組み替えたバリエーションだから、ななめ読みして「そっかー、〇〇さん辞めちゃうんだ」と思う程度。
しかし、である。
次は私が辞める側だ。
退職メール、送ってみるかなという気持ちになっている。
前、働いていたところをやめたときは、
正直、どーでもいいと思って辞めたので
全員の前での挨拶はしなかったし
挨拶しに来られるのも嫌だったので、定時より30分早く上がって逃げるように職場を出たのだ。
今思うと、「挨拶をしないで去ること」をかっこいいと、考えていたのだろうあの頃は。
でも、今の職場を去っていった先輩たちの
(メールではない、)職場での退職の挨拶の場に何度も立ち会ってきて
そうか、きちんと挨拶をして去っていくのは、職場での最後のマナーなんだな、
と気づいた。
いろんな人がいた。
ひとりひとりに手紙をくれた人。
10分近くのスピーチをした人。
職場に残る私たちを哀れんだ人。
挨拶の途中で泣き出した人。
挨拶も、色紙や花束といった記念品も拒否した人。
それぞれに、それぞれの思いがあったのだろうけれど
私は次は、きちんと挨拶をして去りたいと思っている。
今の私は、「きちんと挨拶をして去ること」をかっこいいと思っているのだ。
正直言うと、色紙とかメッセージカードとかは処分に困るのだけど、
あれは、もらう側ではなく書く側の気持ちのやり場として必要なんだなと
記念品を拒否した先輩を送った時に思った。
もちろん、自分としても
今の職場への、一緒に働いてきた人たちへの、最後の気持ちの整理の場だし
今度はちゃんとしておくか…という感じ。
通り一遍の、よくある「退職のご挨拶」文例だとしても
それが儀式として区切りになるのなら、ちゃんとやっておいてもいいかもな、と思っている。
儀式かー、そうか。
いままで受け取ってきた「退職メール」も、儀式だったんだな。
マナーじゃなくて、儀式か。なるほどね。